金剛院の宝篋印塔

ページ番号1002838  更新日 2021年4月21日

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写真:宝篋印塔
(写真は右よりA・B・C)
よみ
こんごういんのほうきょういんとう
指定・種別
市指定・工芸
員数
3基
法量
A:224cm B:246cm C:184cm
材質
石造 安山岩製
時代
室町時代末期~江戸時代初期
所蔵
寺津町 金剛院

寺津町金剛院は、中世寺津城主で、後に松平(徳川)氏に仕えた大河内氏(のち長沢松平家を継いで大河内松平氏)の旧菩堤寺であり、墓地には代々の供養塔が林立している。このうち最も古い3基がA:大河内信貞(普照院殿心月宗空禅定門・永禄元年/1558没)、B:信貞夫人(雪峯院殿松庵寿参尼大姉/1595没)、C:大河内秀綱(金剛院殿雄岳宗英大居士/1618没)の供養塔で、安山岩製の関東式宝篋印塔の形式で建てられ、それぞれ戒名と没年月日が刻まれている。宝篋印塔とは、本来は宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を納める木製の塔で、下より基礎・塔身・笠・相輪からなる独特の形をし、のちに石製で供養塔、墓塔としても建てられるようになった。西尾・幡豆郡一帯では本来、矢作川流域産の花崗岩製石造物が主であるが、室町時代末~江戸時代前期に集中して墓塔や石燈篭、石仏などに安山岩製の関東式のものが見られ、この時期、当地の武将らが家康に従って関東進出したこととの関連が指摘されている。この3基は没後の造立と見られ、詳しい時期は検討を要するものの、関東式石造物を代表する美しい塔であり、中世の在地城主・大河内氏の数少ない遺構である。

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