西尾の偉人(神谷 傳兵衛)

ページ番号1007662  更新日 2022年11月25日

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神谷 傳兵衛(かみや でんべえ)(1856年~1922年)

実業家:日本のワイン王

神谷傳兵衛写真

西尾とのゆかり

幡豆郡松木島村 生まれ(現西尾市一色町)

主な功績

日本初の国産ワイン製造等の功績

・明治13年(1880年)、浅草ににごり酒の一杯売り屋である「みかはや銘酒店」(現 神谷バー)を創業。「みかはや」は傳兵衛の故郷である「三河」にちなんで名付けており、郷土への想いが垣間見える。

・輸入ワインにハチミツや漢方薬を加え、日本人好みの甘い味にして売り出した「蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)」(現 香竄葡萄酒、ハチブドー酒)が爆発的な大ヒット。輸入ブランデーをベースとしたカクテル「電気ブラン」も大ヒット。洋酒文化を広めるとともに洋酒製造の分野で大成功を収めた。

・こうして財産を築いた傳兵衛は、夢であった日本製のワイン醸造のため、明治30年(1897年)に茨城県牛久に120ヘクタールに及ぶ広大な土地を取得し、明治36年(1903年)、日本で初めてブドウ栽培からワイン醸造、瓶詰、出荷までの工程を一貫して行い、本格的なワイン醸造施設である「シャトーカミヤ(現牛久シャトー)」(国指定重要文化財)を造った。

・傳兵衛は日本の国産洋酒の先駆者としてあまりにも有名な人物であり、日本のワイン王と称されるようになった。

・明治45年(1912年)、浅草の「みかはや銘酒店」を洋風に改築し、日本初の西洋バー「神谷バー」を開店。電気ブランやハチブドー酒をはじめ、現在も全国から根強いファンが訪れる老舗店である。

・傳兵衛は日本の産業の黎明期に旭川において国産アルコールと、茨木県牛久にて国産本格ワインづくりという2つの事業化を成し遂げ、財産を築いた。

三河鉄道の全線開通に尽力した功績

三河鉄道路線図

・ワイン等により財を成した傳兵衛は、地元の三河鉄道(現 名鉄三河線)が窮地に陥っていることを知り、3代目社長に就任し、郷土のために私財を投じて倒産の危機を救うとともに、三河鉄道の延伸に尽力した。

・傳兵衛が三河鉄道社長在任中に碧南~蒲郡(現 名鉄蒲郡線)までの敷設認可を成し遂げた。また大正15年(1926年)に大浜から一色まで延伸された際には傳兵衛の功績が讃えられ、松木島の駅が「神谷駅」と名付けられた。

三河地方の自動車産業発展の礎を築いた功績

・大正5年(1916年)、三河鉄道の社長に就任した傳兵衛は、碧南から刈谷までの路線を猿投越戸まで延伸。延伸した先の地域で採掘される木節粘土に着眼。そこで生まれた構想は、その地で採れる高品質の粘土を鉄道で刈谷まで運び、レンガを作って東海道本線で関東へ出荷するというものだった。

・大正7年(1918年)、刈谷に東洋耐火煉瓦株式会社(現 クアーズテック(株)刈谷事業所)を設立し、三河鉄道を活用して耐火煉瓦の大量出荷に繋げ、近代工業の発展に尽力し貢献した。東洋耐火煉瓦株式会社の所長が大野一造。その子が「トヨタ生産方式」を築いた大野耐一(トヨタ自動車工業の元副社長)である。また耐火煉瓦の成功に伴い大正12年(1923年)に豊田紡織、昭和2年(1927年)に豊田自動織機の工場が刈谷に誕生。傳兵衛の耐火煉瓦事業の成功が、後の三河地方にトヨタグループの工場が集積するきっかけとなった。

・三河地方の自動車産業発展にはさまざまな要因があるが、発展のルーツに傳兵衛の功績がある。トヨタグループを中心とする自動車産業の発展の恩恵を受けている西尾市にとっても、先見の明がある傳兵衛の歴史的史実や功績を語りづくことは意義深い。

民間初の酒精(アルコール)製造の功績

・明治32年(1899年)に旭川に約11.5ヘクタールの広大な敷地を手に入れた。傳兵衛は米からお酒を造っていたのでは、日本の人口が増えている中、米不足になってしまうので、芋類や穀物などの畑作物を原料に酒精(アルコール)の製造をしようと考え、旭川で生産させていた良質なジャガイモとトウモロコシを原料とした。

・明治33年(1900年)、北海道旭川に「日本酒精製造(株)」を設立。旭川に民間初の本格的な酒精製造工場を建設し、アルコールの分野でも成功を収めた。

・日本酒精製造(株)は幾多の変遷を経ながら、現在、オエノンホールディングス社のグループ企業である合同酒精株式会社として、香竄葡萄酒や電気ブラン等の製造をしている。

酒精粕が育てた養豚~旭川ラーメンの発祥~

・傳兵衛は酒精の製造過程で出る大量の酒精粕を処理するために、豚の飼料にすることを試みたところ大成功し、旭川で養豚も併せて行った。

・旭川は豚を飼う人が増えたことにより、豚の解体後の骨などを安く入手できたため、これを利用した豚骨スープが広まり、後の旭川ラーメンの発祥の礎となった。

各界の名士との交流

・各事業の推進するため、傳兵衛は歴史に名を残す諸名士(勝海舟、山岡鉄舟、榎本武揚、曾禰荒助、板垣退助、土方久元など)との交友を重ねた。

寄付の功績

・大正8年(1919年)に自家にあった美術骨董品668点すべてを東京帝室博物館(現:東京国立博物館)へ献納した。傳兵衛はこれらの什宝を多くの人々に触れてもらうことが、社会に役立つ最良の行為だと考えたためである。

・傳兵衛の故郷にある松木島八幡宮に燈籠や石垣、常夜灯を寄進した。常夜灯の火は建立当時から地元住民による献灯がされており、今もなお、傳兵衛の故郷に対する想いが受け継がれている。

旧神谷傳兵衛稲毛別荘(国登録有形文化財)

・傳兵衛の別荘として大正7年に建てられた洋館。葡萄を模った天井飾りや欄間など、ワインを愛した傳兵衛らしい室内意匠が見どころのひとつ。

・稲毛が海辺の保養地だった頃の記憶を物語る建物としても価値があり、国登録有形文化財に指定されている。

・所在地:千葉市稲毛区稲毛1-8-35(千葉市民ギャラリー・いなげ内)

神谷傳兵衛イラスト

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