第一回尾﨑士郎賞 最優秀・優秀作品

ページ番号1002990  更新日 2021年4月21日

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最優秀賞

犬に顔を砥められた話

東京都八王子市 高野 正夫

その頃、午前中の僕の日課は数冊の本を抱え、ウォークマンを携え、近くの綾南公園に行くことであった。
武蔵綾・多摩御陵に接したこの公園は、広大な敷地を擁し、手入れの行き届いた市民憩いの場である。樹齢九十年近い帚の参道のコンクリートは、木漏れ日が描く抽象絵画のような模様で彩られ、真夏でもひんやりした緑陰を作る。ベンチは、公園の高台にあって、そこからは、公園の南側に沿ってゆるやかな浅川の清流が眺められる。
定年になって三年目の春、いつものように公園のベンチに座っていると、欅の枝から二匹の鳩が音もなく、すーと舞い下りてきた。驚いたことに、そのうちの一羽が、何と僕の肩に止まったのである。首のあたりの莉翠色が、陽光を浴びてきらきら光っている。首を傾げる仕種が何とも可愛いい。もう四十年もの間、この公園に馴染んできたが、こんな経験は初めてである。
それからまた、一週間ほど経った。満開の桜の下で、うとうと居眠りをしていた。もう盛りを過ぎた桜は、微風でも花吹雪を散らす堤防の白い歩道では、小犬が数匹じやれながら遊んでいる。そこは、盛土が崩れ、丁度ベッドのように平らになり、しかも大きな萩の株が五つあって、道路を遮蔽している。昼寝には恰好の場所なのである。僕がずっと以前から、昼寝がてら読書する秘密の場所である。いつも竹のひごで編んだ枕を持参し、新聞紙を下敷きにして、そこでしばし読書を楽しむ。
その目、僕は本を読みながら、眠ってしまったようだ。と、そのとき、頬のざらざらした感触で目が覚めた。目を聞けると直ぐ眼前に大きな大の顔があった。瞳の中の模様まで見えた。僕は跳び起きた。驚いたのは犬も同じだった。大は、僕の恐怖の形相に、一瞬顔を遠ざけると、身を数歩引いた。その時、ばたばたと、白い運動靴を履いた中年の男が駆け寄って来た。だらしなくズボンの上にはみ出したTシャツ、野球帽に収まりきらない白髪が耳を塞いでいる。度の強い眼鏡のレンズには、泥のようなものがこびりついている。男は、肩で大きく息をしながら、うめくような声を出して笑った。
「ダンナさん、大丈夫・・・、大丈夫・・うちのテスは何にも悪いことなんかしませんよ。顔を舐めるのは、親愛の挨拶だから添めさせてやって下さいな。」
犬は、もう一度、歩を詰め、近づいてきた。やはり、僕は怯えていた。舐めさせてやってもいいが、第一、図体が大きすぎるではないか!しばらくは、双方のにらみ合いが続いた。
しかし、男の柔和な笑顔を見ているうちにその恐怖心が、次第に萎えてきた。大が畝め回した頬のあたりを、もう一度撫でてみた。犬の舌のざらざら感は、なかなか消えなかったが、犬は、穏やかな細い眼で、心配そうに僕を見つめている。まるで、悪いことなんか何もしてないのに、何で、そんなに怖がるのか?とでも言うように。白い毛に、灰色の斑点が混じっている。眼の色は、西政人のように青くしかも、湖のように澄んでいる。大に悪気はなさそうである。
浅川は、高尾山の麓から流れ、日野の辺りで、多摩川に合流する。その両サイドは、サイクリングや散歩の遊歩道として整備されている。川面には、黄昏時の震が流れ、遠くの太陽は、今、奥多摩の山なみの一角に沈もうとしていた。一日で、回答美しい一時である。
僕は、この一週間に立て続けに起こった、二つの不思議な出来事を反例していた。鳩が肩に止まったこと、犬に顔を砥められたことである。この四十年間に起こったことのない出来事が、このI週間にたて続けに起こった。
僕はこの意味を考えた。結論はこうである。我々は、現役ばりばりで仕事をしている間は常にある種の緊張感に包まれている。今、思い出しても、僕が通い慣れた中央線の、あのサラリーマン諸氏の顔は尋常ではない。どこか険がある。表情が常に固い。そのテンションは、当然のことながら、身体中からX線のように、あるいは、オーラとなって、常に周囲にまき散らされている筈である。働くこととは、そういうことである。
このことは例えば、ラッシュ時間帯を外れた日中の電車に乗ってみれば、車内の雰囲気が、がらっと変わるのでよく分かる。のんびり、ゆったりとした乗客の顔、時間までもが、そこではゆっくりと流れている。
定年後、僕にはその緊張が一切失われたようだ。そうした変化を、誰よりも敏感に感じ取るのは、自然そのものの塙や犬である。僕からはもはや、彼らを恐れさす一切のテンションが消えたのだ。鳩が肩に止まり、犬が顔を砥め回しだのはそのためである。僕のほうが鴨や鳩や犬に一歩近づいたのである。
僕は今、自然の中にゆったりと溶け込めた自分を感じ、人生の至福の時が来たとの思いが、腹の底からこみ上げてきた。

優秀賞

ひいばあちゃんののうこつ

吉田小学校三年 糟谷 優汰

「起きて、みんな起きて。」
ぼくは、夜中の二時に、お母さんに起こされました。お母さんに、
「かずばあちゃんがなくなったから、おばあちゃんのへ屋に行こ。」
と、言われぼくは、ねむたかったのでよろよろ行きました。かずばあちゃんは、いつもみたいに、ねているみたいでした。お姉ちゃんたちと、
「かずばあちゃん。」
と言ったけど、へん事がなかったので、さわってみたら、生あたたかったです。朝は、元気だったのに、夜、ねる前に会いに行った特はちょっとくるしそうでした。だけど、かずばあちゃんは、百さいまで、生きれると思っていたので、とってもかなしかったです。
かずばあちゃんのせわをしてくれていた、かんごしさんが、家に来てくれて
「家ぞくのひとで、おばあちゃんをきれいにしてあげる。」
と聞いてくれました。そうしたら、お姉ちゃんたちが、
「じゃあ、わたしやりたい。」
と言ったので、ぼくもいっしょにやる事にしました。まず、さいしょにあたたかいタオルで、顔や体をふいてあげました。次に、おばあちゃんのお気に入りの、着物を着させてあげて、さい後に、ぼくたちがたん生日プレゼントで買ってあげた、くつ下をはかせてあげました。仕上げは、かんごしさんがメイクをして、目の中に入れ歯とわたを入れてくれました。そしたら、かずばあちゃんの顔がわらっているみたいで、少しわかく見えました。
おそうしきの日、ぼくは、お姉ちゃんたちと手紙を書きました。ぼくは、手紙にヒミツで、じゅう所を、書いておきました。なぜなら、かずばあちゃんが天国に行った時に、わすれているかもしれないからです。おきょうがおわった後、おかんの中に、手紙や花を入れました。おそうしきがおわって、やすらぎえんに行きました。かずばあちゃんは二時間くらいでほねになってしまいました。ほねは、うすいピンク色、うすい緑色がたくさんありました。ぼくは、ほねをこつばこの中に入れました。もう、かずばあちゃんと、話せないと思うと、とってもさみしかったです。その後、ぼくたちは、かずばあちゃんのほねを持って家に帰りました。いつも、朝学校に行く時、お母さんが
「かずばあちゃんに、おまいりして行きなよ」と、言うので、ぼくは、
「かずばあちゃん、行ってきます。」
と手をあわせてから学校に行きます。
かずばあちゃんがなくなって、あっという間に夏休みになってしまいました。
「七月三十一日かずばあちゃんの、のうこつだけど行く。」
と、おばあちゃんが聞きに末ました。ぼくは、
「のうこつって何。」と言ったら、
「かずばあちゃんのほねを、おはかの中に入れてあげることだよ。」
と、教えてくれました。ぼくは、おはかの中がどうなっているのか気になったので、行くことにしました。
のうこつの日、お昼ごはんを食べてから、家ぞくでお寺に行きました。まず、さいしょに本どうで、おきょうをあげてもらいました。おきょうがおわって、おばあちゃんが、
「だれか、かずばあちゃんのほねを持って。」
と言ったので、ぼくは、すぐに、とりに行ったけど、お姉ちゃんたちが
「じゅん番で持とう。」と言ったので、ちょっとしか待てませんでした。おはかの前で、また、おきょうをあげてもらいました。次に、おじいちゃんが、おはかの石をずらして、じゆん番に、かずばあちゃんのほねを入れていきました。ぼくの番がまわってきました。おまいりをして、こつばこの中から、たくさんのほねを持って、おはかの中に入れました。ほねは、ちくちくして手がいたかったです。おはかの中は、ご先ぞ様のほねが、いっぱいあるのかな、と思ったけど、ぼくには、見えませんでした。のうこつがおわって石をしめる時に、バックが出て来て、かずばあちゃんのおはかの方に、ピョンピョンと、とんで行きました。お姉ちゃんに言ったら、
「あのバッタ、左足が一本おれてる。」
と言ったので、もしかしたら、かずばあちゃんが、会いに来てくれたのかな、と思いました。なぜなら、かずばあちゃんは、左足がふ自由で、まつばづえをついていたからです。
もうすぐおぼんです。また、みんなでむかえにくるから、見まもっててね、かずばあちゃん。

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