第三回尾﨑士郎賞 最優秀・優秀作品

ページ番号1002986  更新日 2021年4月21日

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最優秀賞

障害を克服した息子よ。

愛知県豊田市 胡桃沢 園恵

息子は高校2年、今日もボランティア活動に情熱を燃やしている。

恵まれない子ども達へ文具を手渡したい、と街頭募金をしたり、市内の川の美化活動に休日を使っている。

しかし彼は決して健康でもなく、人より頭脳が優れている訳では無い。

年に数回は過労で倒れ、病院へ連れて行く。

彼は『アスペルガー症候群』を持って産まれた。

個性が強い特長があり、息子は3才の頃、工事現場に通りがかれば、関心と興味をもって、ご飯も食べずに朝から夜まで見続けた。

又、息子は偏食も有り、4才の頃、ラムネ菓子を主食にし、緑色の食品は食べ物と思えず、少しのレタス等でも食卓にあれば皿ごと投げて暴れる程だった。

朝、近所の子は保育園へ行くが、私は病院や相談所へ息子と出かけていた。

アスペルガー症候群、そして高機能自閉症と診断された。

聞いた事も無い言葉、病名に私は呆然とした。

服を裏返しにして着る、同じ本ばかりを何度も「読んで欲しい。」と言う。

毎晩息子は枕元に何十冊も絵本を積み上げ全部繰り返し読み聞かせていた。

おもちゃを家中に並べて数ミリでも動かせば、ひどく怒りきちんと元通りに戻さなければ気がすまない。

時代劇やおすもうが大好きで番付をつけ、テレビで始まれば話しかけても息子は返事もしてくれなかった。

何か気に入らなければ泣きわめき、ガラスでも、テーブルでも投げては暴れ、ピタリと落ち着くと死んだように眠る息子、一日中眠り続けた事も何度かあった。

水たまりに入ったり、なぜか服も下着も全て脱いで押し入れの中で笑ったり、寝たりして驚かせていた。

医師からは「脳からの指令にズレがある。」との説明があり、運動全般も苦手だった。

しかし、彼が夢中で通う場所があった。

5才の秋から現在も続けている少林寺拳法の道場で、学校を長く休む中でもこの道場にはすすんで行った。

その頃私は娘を出産し、娘を連れて図書館へ行っては「発達障がい」に関する本を借りては読みあさっていた。

学校では先生方も困っている様子、周囲の人は息子の突飛な行動に罵声をあびせたりした。

息子が8才の時、私と息子は、ひどく人からせめたてられて行き場を失くした。

息子の通う小学校の校門で座りこんで私と息子は泣きじゃくった。

「もう死んだじいちゃんの所に行こうよ。」

息子がポツリと発した。

その時だった、偶然学校へ来た息子の担任の先生が私達を見かけて走り寄って来た。

「ごめんね。」

先生は一言言うと私達と一緒に泣いた。

そして力強い声で言った。

「死んだ気になって生きてみよう。」

その時、私達の中に生きる勇気が湧いてきた。

息子が小学校を卒業するまで毎日学校へ一緒に通い、道場に入門した。

小5の時、息子は毎日学校へ自主的に登校するようになり、次第に楽しそうに過ごす息子に私は幸せを感じた。

小6では私と息子は努力をして道場で昇段試験に合格し、黒帯を二人で手にした。

中学では希望していたロボット部に入部、夢中でロボットを造り、見事、全国大会へ二年続けて勝ち進んだ。

息子と私とは一つだけ約束をした。

「宿題だけは必ず提出する。」

以後、それをずっと守り続けて、第一志望高校へ進学した。

合格発表、友人と抱き合い喜んだ息子―。

息子は幼ない頃から私と共に地域のボランティアをした経験を活かしてボランティア団体を立ちあげた。

そして高校生でありながらボランティア代表となって広く活躍しはじめた。同時に二年生でありながら、高校の生徒会長に立候補した。

弱くて泣いてばかりだった息子が今、人の為、学校の為に行動している。

苦しい病気、困難な逆境を克服して今、息子が世の中で活躍している事、私は誇りに思っている。

“生きる。”という事の意味を、心から楽しくありがたく感謝している。

ありがとう私の息子。

家族みんなで力を合わせてこれからも力強く生き続けたい、と私達は毎日燃えている。

ああ、人生は、すばらしい!

優秀賞

よかったね、スズメの赤ちゃん

室場小学校5年 野澤 萌香

「もえ、ちょっと来て。」

朝、歯みがきをしていたら、外で洗たく物をほしていたお母さんが、わたしを呼んだ。

「ほら、見てみりん。木の上の方に赤ちゃんスズメがささってる。」

お母さんは、そう言いながら庭の木の上の方を指差した。お母さんの言う方を見てみると、まだ小さい赤ちゃんスズメが木の枝にひっかかって羽をばたばたさせていた。お母さんは、

「洗たく物をほしていたら、なんか上の方で音がするから見てみたら、スズメがいてびっくりしたわ。お腹から羽の方に枝がかん通していない。」

と聞いてきた。わたしは、えっと思って、もう一度見上げた。そして、木の周りをぐるっと回ってようく見てみた。やっぱりスズメのお腹の方から枝がつき抜けているみたいに見えた。わたしは、

「かわいそう。とってあげようよ。」

とお母さんに言った。すると、お母さんは、

「でも、今日は日曜日だから動物病院はやっていないし、あんなに上の方じゃとれないよ。どうしよう。」

と言った。羽をばたばたさせているスズメをしばらく二人で見上げていたら、お母さんは、

「もえ、お父さんに電話してきて」

と言った。わたしは、急いで家に入り、温室で仕事をしているお父さんに電話をした。

「お父さん、スズメが木にひっかかっているから、とってあげて。」

と言うと、お父さんは、

「今は、行けれん。そのままにしておけ。」

と言った。わたしは、何ですぐに来てくれないのとおこれてしまった。

もう一度外に様子を見に行くと、スズメはつかれたのか、ばたばたしなくなっていた。このままでは死んでしまう。わたしは、もう一度お父さんにたのもうと電話をしに走ってもどった。

「早く来て。」

でも、お父さんは、

「もうすぐ行くわ。」

と言って、電話を切ってしまった。あのスズメの様子を見たら、お父さんだってのんびりしてはいられないはずなのにと思った。となりでは、お姉ちゃんが部活へ行く準備をしていた。お姉ちゃんは、まどから外のスズメを見て、

「ああ、どうしようもないね。仕方がないよ。」

と言って、部活に行ってしまった。冷たいじゃんと、またおこれてきた。同じクラスに動物が大好きなさくらちゃんがいる。さくらちゃんならいっしょにスズメを助ける方法を考えてくれるかもしれないなと思った。

いっしょにスズメのことを心配していたお母さんも、

「もえ、もうドッジの練習に行く時間。」

と言った。わたしは、仕方なく準備をしながら、まどから何回もスズメを見ていた。思い出したようにばたばたして、またぐったりとしていた。ふと、となりの木を見るとスズメがとまっていることに気づいた。わたしは、もしかしたらお母さんスズメかもしれないと思った。

ドッジボールに行く準備をしていたら、お父さんが仕事のトラックで走ってきた。本当に来てくれた。お父さんが何とかしてくれるかもしれないと、ほっとした。お父さんは、スズメがいる木の横にトラックをとめた。

「どこだ。」

と聞かれ、

「そこそこ。もっと上の方。」

と教えてあげた。すると、お父さんは、トラックの荷台の上にのぼり、木の枝をぐっとつかんで横にぶんぶんとゆすった。そのしゅん間、スズメがぱたぱたとわたしとお母さんの目の前を飛んでいった。そして、となりの木にいるスズメの下の方にとまった。わたしは、

「よかった。ささってなかったじゃん」

とさけんだ。お母さんも、

「羽に枝がひっかかっていただけなんだ。」

と、ほっとしていた。そして

「ドッジに行くよ。おくれちゃうよ。」

と言われ、急いで車に乗った。もし、あのままスズメがひっかかったままだったら、ドッジボールの練習の間、ずっと気になってしまって練習ができなかっただろうなあとおもった。

家に帰って、

「スズメ、どうなった。」

と聞いた。お母さんは、

「となりの木にずっととまって休んでいたよ。近づいたら、どこかに飛んでいっちゃった。」

と言った。

あれから、家の近くを飛んでいるスズメを見ると、あの時、助けた赤ちゃんスズメかなと思う。どこかで、あの時の赤ちゃんスズメが大きくなって元気に飛んでいてくれるといいと思う。

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