第二回尾﨑士郎賞 最優秀・優秀作品

ページ番号1002988  更新日 2021年4月21日

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最優秀賞

いのちの通路

山口県山陽小野田市 高橋 克昌

私は、水道屋をしている。早朝から星が出るまで、地面を掘り、穴にもぐり、床下を這う仕事だ。

水は家庭に届くまでのあいだに、長い旅をする。その見えない旅の安全と清潔を保障するため、働いているといえば聞こえはいいが、実際は毎日汗だくで作業着は泥だらけ。下水の配管の時には、汚水に手を突っ込み、アンモニアの臭いや物が腐ったような臭いが鼻の奥にまで染みついて、鼻毛を切れば、その鼻毛といっしょに糞尿の匂いが吐きだされる。

くそったれ!三十歳を前にした男がなんでこんなことばかり一日中やってんだ!

なんでの答えを探していくと十一年前の小学校夏合宿の記憶に辿り着く。

朝早い高原の合宿所。五年生全員が調理室に呼ばれ〈利き水実験〉をやらされた。

ペットボトルに入ったミネラルウォーター二種類。子どもだった自分たちには商標名で種類分けが説明されたが、一方が硬水でもう一方が軟水だったように思う。それと、その朝汲んできたばかりの竹の筒に入った高原の湧水。最後はコップに入った水道の水。

仲間たちは、四種類の水を飲み比べて、口々に高原の水を「おいし~~」とほめそやした。そうして、水道水を顔をしかめて「まず~~い」と言った。その声を聴きながら実験を指導していた先生は、「水道水は浄水場で塩素消毒しているのでその匂いや味が舌に残るのですね。」と満足そうにうなずいて言った。みんな、ノートにそのことを書いた。

違う。確かに水道の水はまずかったが、塩素の味ではないと思った。だから、「これは、エンソじゃなくて、ナマリの味だよ。きっと水のせいじゃないよ」と言った。先生は、ちょっと困ったように首をかしげ、苦笑いした。
「さすが、高橋君の家は水道屋さんだけあってくわしいなあ」

嫌な感じの「さすが」だった。後でみんなに「水道屋じゃけ水道水のひいきをしちょる」とからかわれた。ものすごくくやしかった。

家に戻って親父にそのことを話すと、晩酌の酒の勢いもあったのか、「贔屓で上等。おまえは、日本一、水道水の贔屓ができる人間になれ」と豪快に笑った。「しかしお前の感じたことが正しかったら、その合宿施設はまだ鉛の水道管を使ってるのかもしれん。身体にも良くない。取り換えた方がいいので、調べておこうな」

果たして私は現在「日本一水道水の贔屓」ができる水道屋になれているだろうか。

世界を見渡せば水不足は深刻だ。先進国は今のうちにと、未開の地の水源を漁り、それを買い占めている。会議の席上にもペットボトルが並び、道を行く人もあたりまえのようにペットボトルを持ち歩いている。もはや、水道水は旅先で「慣れない水にご用心」の対象であるだけでなく、日本国内でも「きれいで安心な水」の代名詞ではなくなりつつある。その一方で水の使用量は年々増加している。飲むためでなく、自分の身の回りを快適にきれいにするために、水を使う。合成洗剤を筆頭に薬まみれ油まみれにして、その水を排水溝に流す。流された水が海に辿り着くまでの通路のことは、気にもとめない。

私はこの通路の番人であることが時々嫌になる。ハム工場の排水管の掃除を請け負ったような日には本当に泣きたくなる。べっとりと管に貼りついたブタやマトンの油が独特の饐えた臭気を放ち、臓物をえぐりだされそうな嘔吐が何度もつく。工場内部の衛生管理にマイナス要素を加えない様、細心の注意を払いながら、この世のものとは思えない汚濁の水路を掃除する。美しい化粧箱に納まる芳醇な味わいのロースハムに、自分のような労働者の陰はない。

先日、土砂災害で断水が続く山間部の水道復旧の手伝いに駆り出された。町並みは惨憺たる状況だったが、土と向き合う時間に人間としてできることは、いつも同じだ。ひたすらに、スコップを握る。水道の蛇口から再び水が迸り出るようになった瞬間、おばあさんが、「あぁありがたい」と、拝むように手をこすりあわせた。

ようやく出るようになった水道の水で節くれだった両手を洗いながらおじいさんが、「これでどれだけ助かるか」と、笑顔をみせてくれた。

日常生活の中で水道がないがしろにされていると不満を抱き、その水道と日がな一日格闘し続ける自分をも、どこか卑下しかけていた心の丈がぎゅんと伸び、まっすぐな喜びを貰った気がした。

水道管の敷設には、富める家と貧しい家の区別がない。予算の裕福な地域とそうでない地域の区別もない。どの場所にも等しく水を届けるという使命を胸に、私はもぐらのようにひたすら土を掘って突き進む。

明日も明後日も。

優秀賞

寄り添う気持ち ―車イス入店拒否の記事から

平坂中学校一年 田中大翔

「ひろ君、これちょっと読んでみて。」
ある日、突然母に言われた。それは車イスの男性が、予約していたにもかかわらず、車イスであることを理由にレストラン側から入店を拒否されたという記事だった。はじめ、その「有名レストラン、車イス入店拒否」というタイトルを目にしたとき、僕は何だか腹が立ってきた。車イスであるというだけの理由で入店を拒否する。なんておかしな店だろうと思った。それに、すべての人がおいしく食事をして、楽しい時間を過ごせることが外食のステキなところだと思ったし、車イスであることの何がいけないのか、思い当たらなかったからだ。
「ええ、ひどいね。この車イスの人、すごく悔しかったと思う。」
僕は、そう母に言った。
「全部、ちゃんと読んでみて。」
母は静かに言った。

記事を読み進めると、必ずしもレストラン側が一方的に悪いとは思えなくなってきた。断わった理由として、車イスであることを事前に知らされていなかったこと。レストランがビルの二階にあり、エレベーターが利用不可能だったこと。二人で店をまわしているため、急な申し出に人手が足りず対応できなかったことなどがあげられていた。
「予約するときに、きちんと車イスだって伝えておけば、こんなことにならなかったんじゃないかな。」
僕がそう言うと母が
「さっきとまるで反対の意見に変わったね。」
と言った。母にそう言われて、車イスの人を悪く言っている自分に気づいた。
「この記事に対して、いろんな意見があるから見てみたら、そして何か感じることがあればいいなと思うけど。」
そう母に言われて、たくさんの人の書き込みを読んでみることにした。車イスの男性を支持する声、レストラン側の対応を指示する声、受け取り方はそれぞれの立場によっても違うように感じた。同じように車イスを利用している人からも書き込みが多数あった。車イスであることを理由に断られるケースは、まだまだ少なくないらしい。中には車イスであることを店側に伝えておくべきだと言った僕の意見を批判する意見もあった。それは障がい者だからって、どうしてあらかじめ許可をとらなくてはいけないのか。障がい者を差別するのかというものだった。差別という言葉に僕はドキッとした。そんな風に考えてもみなかったからだ。予約時に車イスであることを伝えていれば、階段の有無や車イス対応のトイレの有無などを知ることも出来るし、店側の対応もスムーズになるんじゃないか。それはお互いにとっていいことだと単純に思っただけだったからだ。まさかそれが差別になるなんて思いもしなかった。ショックだった。
そう母に伝えると、
「健常者であるひろ君にはわからない、障がいをもっている人だからこそ感じる差別なんだろうね。」
と母は言った。難しい…。正直そう思った。ちょっとしたいざこざくらいにしか考えてなかったこの出来事が、僕の中でとても大きな事件になりました。

いろいろ調べてみると、香港では車イスで入れることが店を開く基本条件の一つとなっていた。また、イギリスではこの手のケースだと障がい者差別で大きな訴訟問題になることがわかった。日本に戻ってきて私は障がい者になったと言った人もいた。アメリカで暮らしていた人の言葉だ。それほど今の日本は障がいのある人に対し理解や認識が薄いのだとわかった。障がいのある人にとって日本という国は生きにくいところなんだと知った。

普段とは違う目線で周囲を見渡してみた。オシャレ感を優先して作られた階段。まだまだ多い開閉式のドア。車イスでは通ることのできない狭い通路。不自由であろうことは、町中にあふれていた。健常者である僕にとって、なんてことない日常の一つ一つが、障がいを持つ人にとっては大変なことだとあらためて知ることができた。

ノーマライゼーションという言葉がある。障がいのある人が健常者と同じ生活レベルで暮らせる社会をつくろうという運動のこと。そのためには周りの人の理解と協力、寄り添う気持ちが大切なのだと思う。

人権問題とか差別とか、少し自分とはかけ離れた問題のように感じていたけれど、外食一つとってみても今回の件のように、人権や差別という問題が潜んでいることを知り、こんなにも身近に存在することに驚いた。母が僕に言いたかったことが、なんとなくわかった気がした。中学生になって社会の一員に少し足を踏み入れたばかりの僕に何ができるのか。まずはいろんな人の意見に耳を傾け、理解し寄り添うこと、そこからはじめてみよう。

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