茶道のお話3

ページ番号1002614  更新日 2021年4月27日

印刷大きな文字で印刷

日本の生活文化と深い関わりを持つ、独自の様式。そして茶道史に登場する著名人

茶室空間の美学

露地

昔は「路地、路子」などと書かれていたものに、千利休が露地という趣深い文字を当てました。茶室に附属して設けられた通り道も含む庭のことで、茶道では庭のあり方を「渡六部(わたりろくぶ)に景四部(けいよんぶ)」や「渡四部に景六部」といいます。普通の住居では、景は八分、九分で庭は眺めて楽しむものという考え方で設計されることがほとんどでしょうが、茶道では庭は使うものという観念があり、客を茶室まで導くための渡がまずあり、それから景である眺めが現れてきたと考えられます。樹木の一本一本、石の一つ一つに、実用と鑑賞のバランスの美が存在しており、侘びの心を呼びさましてくれます。

茶室

イラスト:茶室


イラスト:小間

書院造りの広間で、別室で点てられた茶を喫していた広間の茶の方が歴史としては古いものですが、茶室といえばすぐ思い浮かべるのは村田珠光が創案したとされる四畳半でしょう。千利休においては一畳半の茶席をつくったことがあるといわれ、狭い空間の中で主客が一層親しみを深めたり、名物の道具類を間近で鑑賞することができるという利点から小間の茶室が一般化していきました。広間に対して小間と呼ばれる四畳半の茶室は大きく分けると、茶を点てる点前座と客の座る客座の二つの空間「主客同座」からなっています。

点前座は一畳に限られ、その半分に亭主が座り、残り半分は道具類が置かれます。

イラスト:八炉

炉は客座と点前座の位置関係を決定するする重要なポイントで、炉の切り型は茶道八炉といわれる8種類があり11月から4月まで切られます。


イラスト:床

床も間取りにおける重要な構成要素で、上座に配置された一般的な床の間を上座床といい、出入り口に近く、点前座より下手に配置された床の間を下座床といいます。また他に亭主床という江戸初期頃から始められた、点前座の奥に床の間を配置したものがあります。床の様式は室床、袋床、琵琶床、織部床、畳床、板床など数多く見られ、利休以後、様々に変化しています。

出入り口

よく知られている躙口(にじりぐち)、茶室特有の小さな出入り口は利休によって始められたといわれています。客が部屋に入る時ににじりながら入るという古来の慣習もあり、茶道でも狭い茶室に入るのには必然的に身をかがめて入らなければならず、入った時の視点から部屋は大きく見え、床へ眼が向くという効果もあります。躙口は客のためのもので、身分の高い人のためには貴人口があります。亭主用の出入り口は、点前をするためのものが茶道口、点前以外の用の時は給仕口があります。

他にも、窓、天井、壁、棚、畳、水屋・洞庫、外観など茶室を形づくる要素は多くあり、いずれにしても亭主(流派)の創意、工夫、好みにより、茶室は限られた空間の中で「市中の山居」としての美を見事に表現してきました。

茶道具の歴史

中国の優れた絵画、陶磁器、漆芸、金工、織物などの美術工芸品、また香木、宝玉などを総称する「唐物」。

茶の湯の創生期、鎌倉時代から南北朝時代にかけて盛んになった茶寄り合いでは、茶の産地などを言い当てる勝負が行われていましたが、勝負の懸物(賞品)や室内の装飾に興味が移り始め、唐物を中心した美術品は特に珍重されていました。室町幕府は唐物奉行という専門部署を置き、管理や保管に当たらせるほど唐物の収集に力を入れましたが、戦乱で幕府の権力が弱体化すると、所持していた唐物は有力な町衆に散逸。将軍家伝来の名器のうち、残された物は大名物として今日まで大切に伝わっています。

室町時代末期になると、唐物以外にも備前焼、信楽焼といった和物や、また朝鮮半島、南蛮船で持ち込まれる南方の雑器の中から、茶道具として使用できる物を選び出す「見立て」が行われるようになります。茶の湯に携わる者は、目利きであると同時に見立てる力量を持つことが大きな条件となり、また楽茶碗のように茶の湯のために、茶人好みの器物を特別につくらせることも始まりました。

江戸時代には、独自の美意識を持つ茶匠古田織部、小堀遠州が現れ、茶道具にも強い影響を与えたり、また本阿弥光悦ほか、個性的な芸術家も現れ、独自の工芸品がつくられました。

町人の暮らしが豊かになり茶の湯人口が増加する元禄以降、家元制度が確立し、家元の作、好み、箱書きのあるのものが尊重されるようになり、大量の楽茶碗、茶杓などがつくられ弟子たちに配られたりもしました。そして茶会では、各流派の家元好みのものや箱書きのあるものばかりが使われるようになりました。

明治以降、文明開化により西洋のものだけがもてはやされ、絵画、工芸など日本の伝統芸術は全て否定され、茶道界も大きな打撃を受けました。新しく支配者階級になった政治家や実業家たちは由緒ある名物道具を収集し、それらを誇示するために茶会が開かれるようになりました。また仏教美術が道具として扱われるようになったり、巻物の歌集、因果経などを分断し掛け物としたりする風潮も現れてきました。

このページに関するお問い合わせ

交流共創部 観光文化振興課
〒445-8501 西尾市寄住町下田22番地

電話
  • 文化振興:0563-65-2197
  • 観光:0563-65-2169
ファクス
0563-57-1317

交流共創部観光文化振興課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。