茶道のお話2

ページ番号1002613  更新日 2021年4月27日

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精神性を重視する茶の湯の確立、安土桃山時代から、明治時代の茶道

侘び茶の成立、堺の町衆、武野紹鴎を中心に

町民の自治が行われていた新興都市堺では、町衆と呼ばれる有力町人たちにより、茶の湯が盛んでした。町衆の親睦の場であるとともに、茶席の主催者である亭主が、自分の考えで演出に工夫を凝らし、道具を見立てて用いる趣向性の高いものでした。このような堺の茶の湯の中心になっていたのが武野紹鴎で、京都四条の茶人、十四屋宋伍に茶を学び、歌学にも通じ、禅宗の修行も修めていました。北向きの四畳半で、数少ない道具を使い念入りに鑑賞される茶席で、一度に多くのものを並べ立てられる茶席とは明らかに異なる姿勢でした。

紹鴎が門弟に与えた箇条には、「捨れたる道具を見立てて茶器にし、隠棲の心第一に、仏法の意味も会得し、和歌の情を茶席に持ち込むよう」、とあります。茶席を開くには、道具の慎重な選択、そして心構えや態度にも厳しいものが求められました。

茶祖、天下一宗匠「千利休」

堺の茶人の中心となっていた紹鴎の唱えた茶を継承しながら、さらに工夫を加えていったのが、紹鴎の弟子、千宋易(後の利休)です。信長が倒れ、秀吉の時代になると信長に最も近かった紹鴎の女婿今井宋久に変わり宋易が重用されるようになりました。宋易は秀吉が開いた大きな茶会の運営に当たり、関白となった秀吉が禁中で行った茶会に際し、朝廷から「利休」という居士号を勅賜されました。天下一の宗匠となった利休は秀吉の側近としても権力を持ち始め、「内々の儀は宋易、公事の儀は宰相(秀吉の弟、秀長)存じ候」という有名な言葉が示すように、大名との間の取り次ぎや、紛争の調停など、政治的な権勢も持っていました。

しかし歴史に名高い北野大茶会の頃から、秀吉は堺衆より博多衆に近づき始め、小田原北条攻めの後全国を平定した後対立は深まり、翌年(1591)ついに利休は切腹を命じられました。賜死の理由は、茶器の売買に絡む不正、大徳寺山門に自らの木像を掲げたことなどだといわれていますが、それだけとは考えられず、歴史の謎といわれています。他の追随を許さない独自の感覚で茶を完成させた利休は、茶の湯の大成者として後世に大きな影響を与えました。

茶の湯が大衆化する江戸時代

江戸前期、多くの大名は茶の湯をたしなみ、中でも後世に利休七哲と呼ばれる、蒲生氏郷、細川三斎、牧村兵部、瀬田掃部、古田織部、芝山監物、高山右近、織田有楽などは茶匠として一家をなすほどでした。特に古田織部は第一人者として独自の美意識を築きました。元禄の頃になると富商の間にも茶の湯が盛んになり、やがて、町人たちの習い事の一つとして茶の湯は流行していきました。茶の湯人口の増加により、茶席自体も変化し、点前の種類も増え、家元制度が確立、また茶書が盛んに刊行されるようになりました。このように大衆化するにつれ、茶の湯は手順や型を段階を追って習う芸事となり、安土桃山の頃のように精神的な心の在り方や個性的な創造力が失われがちになっていきました。中には本来の茶の湯の道を大切にしようとする動きが起こってきましたが、幕末まぎわには世情も不安になり、茶の湯には衰退の兆しが表れ始めました。

明治時代、世界に茶の湯を紹介したのは岡倉天心

明治時代になると新政府の意向により日本の伝統的な文化は、旧弊なものとして排除されるようになり、加えて、廃藩置県により大名や素封家の支持者を失った茶の湯は危機に陥りました。茶人たちが茶道の存続に奔走している間に、明治の支配者階級になった官僚や新興の実業家は、名物茶器の蒐集を競い始め、茶会を催しては道具自慢が行われました。実業家にとっては点前を習わなくても茶道具さえあれば、茶の宗匠や美術商を顧問にし、茶席を開催することができ、茶の湯は社交界とつき合うための手段ともなっていました。

一方で茶道の歴史、先人の業績の研究を進め、多くの流派による制約を超越した点前を目指しながら、日本の茶道の復興と純粋な茶道を広めていく大日本茶道学会が発足しました。こうした動きは衰退化していた茶道界に刺激を与え、別の立場からも茶の湯を普及させようと、茶の湯を学校教育に取り入れることも行われました。この頃、アメリカのボストン美術館に迎えられていた岡倉天心は、東洋の小国を外国人にも理解してもらおうと「THE BOOK OF TEA」を明治39年英文で刊行しました。茶を中心とした日本の文化と、日本人の美意識と精神を説いたこの書物は、今も広く読まれています。

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