茶道のお話1

ページ番号1002612  更新日 2021年4月27日

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日本の文化の粋は茶道の発展ぬきでは語れない。

茶道は総合文化

簡単にいえば、客を招き一碗の抹茶をすすめる、それが日本独特の文化茶の湯です。お茶を点てる所作、それを飲む所作の中に精神の修養を積み、交際儀礼も深めていくという、お茶と精神世界を結び付けてきた一つの文化です。茶道の世界を高めていく上で必要なものは非常に多岐に渡り、茶道といえばすぐ思い浮かべられる、抹茶茶碗、茶筅、茶入れなど点前に使用される種々の道具はもちろん、木や草、石や砂の配置が重要な庭園、建築と建具など、さらに床に必要となる掛け物や置物、文房具、花、花入れなど、他にも抹茶、菓子、菓子器、懐石用具、露地用具など、これ以外にも関係するものはたくさんあります。茶室など空間デザインとしての建築、陶器や掛け軸などの芸術、茶生産、料理製菓などの食文化など、日本の生活文化に関わり、大きな影響を与えてきた茶道が、総合文化と称される所以です。

始まりは鎌倉時代、禅宗のお寺から

抹茶は鎌倉幕府が開かれる前年に、中国、宋に留学した臨済宗開祖の栄西が抹茶法を持ち帰ったのが始まりです。それ以前の煮茶の飲み方から、栄西のすすめた簡便な製法と飲み方(今日のてん茶とほぼ同じ作り方をし、飲み方もこれをひいて粉末にし、お湯を注いで茶筅でかき混ぜるというもの)に移っていきました。栄西は肥前国背振山に霊仙寺をつくり、茶の木の栽培を行い、さらに茶が生を養う仙薬であるといった効能を「喫茶養生記」に著しました。栄西は禅宗と喫茶の風習を広めた功績者なのです。また京都栂尾、高山寺の明恵上人に茶種を贈り、栂尾では上質の茶がつくられ、明恵上人は禅宗の布教活動を行いながら、お茶を全国に広めていきました。

こうした努力により、上流貴族、僧侶たちの儀式や薬用だけであった茶は、次第に薬用に嗜好飲料になっていきました。

茶の湯の誕生、室町時代、村田珠光により

村田珠光です。栄西の広めた茶の薬効を求め、味わいを楽しむ禅宗の簡便で質素な喫茶法を主張し、禅と茶の精神を統一させた「侘び茶」を説き始めました。茶人として高い見識を認められた珠光は、心の在り方や道具に対する態度を明確に示しました。茶席には少人数の客を招き、心を込めてもてなすことを何よりとする侘び茶は、当時の喫茶の世界に大きな影響を与えました。

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