市の花バラ

ページ番号1002620  更新日 2021年4月21日

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市の花

写真:バラ

西尾市の「市の花」がバラに決定したのは、昭和38年のこと。市制10周年を記念して一般公募により選定されたものです。
当時「市花選定委員会」に寄せられた葉書には、茶産地らしく「茶の花」や「ひまわり」などもありましたが、圧倒的に多数だった「バラ」が「茶の花」などを押さえて市の花に決まりました。その頃西尾市の台木の生産は日本一でしたので、今後の西尾市のバラ生産の将来性を見込んでということなども決定理由の一つになりました。もちろん、市民一人ひとりに幸せな暮らしの花を咲かせようとの願いが込められていることはいうまでもありません。バラは平和と幸福のシンボルですから。

出荷量

バラの全国出荷量は約4億650万本、愛知県が占める割合は約14.2パーセントで約5,750万本です。西尾市は、約491万本(県内第5位)を生産しています。(平成16年データ)

バラのお話エトセトラ

写真:バラの花1

古代ペルシャの彫刻の中にバラの首飾りが彫られ、エーゲ海に栄えたクレタ文明のクノッソス王宮の壁画にはほぼバラであるという花木が描かれています。クレオパトラもネロも大量にバラを必要とし、歴代の皇帝や貴族、ルネッサンスの芸術家たちにもバラはこよなく愛されてきました。ボッティチェリの名画「春」「ヴィーナスの誕生」の中にもふんだんにバラの花が描かれています。その頃のフィレンツェの大富豪メヂィチ家の大庭園にも大きなバラ園があったと推測されています。

植物学的にはバラの原種であるノイバラの発生は、3,500万年から7,000万年前の間くらいであっただろうといわれています。人類が誕生する前に存在し、文明が生まれるやいなやバラほど愛され多くのエピソードをもち、また品種改良をさせらてきた植物はないといっていいでしょう。

写真:バラの花2

日本でもノイバラを始め、高山に多いタカネバラ、暖地に見られるナニワバラなど多くの野生のバラが自生し、日本人も万葉集の時代から、歌や漢詩、そして絵画の中にもバラを登場させてきました。江戸時代には鉢バラが栽培され、浮世絵の中にもその姿を見ることができます。明治になってからは諸外国から多くの種類を輸入し、温室、冷室、露地、花壇など海外に負けない栽培が始まりました。

しかし大正期はまだまだ貴族階級のもので、一般市民が楽しめるようになるのは昭和に入ってからです。

そして戦後、急速に大量生産と安価が進み、昭和30年代に入ってから一般家庭でも自宅の花壇でのバラ作りが盛んになります。その後、新品種が職業的に作り出され、国際的なコンクールでも大きな賞を受賞するようになり、日本のバラ作りも海外から注目されるようになりました。また仕事花としても欠かせないバラは、切り花の消費量も高く、常に上位をキープしています。お花屋さんの店先で、売り切れは別としてバラの花を見ない日はありません。すぐに流行が変わる人間社会で、紀元前の昔からこれほど長く愛されてきた花はありません。優雅な姿、花色や香りの豊かさ、品種の多さからバラに勝るものはないといわれます。さすがバラは「花の女王」ですね。

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