全国トップクラスの一色産うなぎ

ページ番号1003083  更新日 2021年4月21日

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香ばしい薫りが食欲をそそる夏のスタミナ源『うなぎ』。土用の丑の日に蒲焼きを食べる風習があることからも分かるように、日本人にとってうなぎは、万葉の昔から伝えられる食材です。一色のうなぎの生産量は、全国トップクラスを誇ります。

100年前に遡る一色産うなぎのルーツ

写真:大正時代のうなぎの出荷風景

日本の養鰻業は、明治12年に服部倉次郎さんが、東京深川の千田新田に養魚池を築造したのが、最初と言われています。また、同氏は明治30年ごろに、静岡県の浜名湖畔に大規模な養魚池を設け、かいこの蛹をうなぎの飼料とする養鰻業の発展の基礎を築きました。一色の養鰻業は明治27年、愛知県水産試験場が坂田新田に設置されたのが始まりで、同31年、鯉の養殖池にうなぎを混養しました。しかし、池の構造が不良だったため、大雨が降ると、大量に逃げたり、越冬できず死んだりと苦労もあったようです。
養殖試験で一応の成果をみた県水産試験場は、明治35年に愛知県呼続町(現:名古屋市南区)に移転し、養殖池を民間に払い下げたことで、一色の養鰻業の第一歩がスタートしました。
養鰻業を企業として位置付けたのは、衣崎村(現:西尾市一色町千間)の徳倉六兵衛さんと徳倉広吉さん。二人は明治37年、生田の竹生新田に12ヘクタールの養殖池を創設し、現在の養鰻業発展の礎を築いたのです。当時、県下では養蚕業が盛んで、うなぎの飼料である蚕の蛹が充分確保されていたことも、業界発展に寄与した要因だったのです。
その後、養鰻業は大正、昭和の時代を通じて、一色町や豊橋市周辺で、ますます発展しました。その背景には、大正9年に国立淡水養殖研究所が、愛知県に設立され、試験研究の結果、うなぎの養殖は極めて有利な事業であることが確認され、県が普及奨励したこともあります。

国策と近代化で生産量もうなぎのぼり

写真:うなぎ

一色の養鰻業は、昭和37年から43年にかけて、さらに著しい発展をしました。これは、昭和34年の伊勢湾台風の被害復旧対策や稲作転換対策を契機に、海岸に近い地域を養殖池に転換したことにあります。発展要因としては、戦後の耕地整理による田畑の集約化で、効率のよい養鰻経営ができるようになったことや、気候が温暖で、シラスが地元で採捕できるほか、酸素補給の水車の開発やうなぎの飼料の改善により昭和40年に魚粉による配合飼料が登場したことで、給餌が飛躍的に楽になったことなどが挙げられます。
また、特に産地化を助けたのは昭和38年、一色うなぎ漁業協同組合の養鰻専用水道による給水で、一級河川の矢作川の水を直接、養鰻池へ入れることが、できるようになったことです。それまでは、農業用水の水を養鰻池に取水することで、日夜、養鰻業者はその水質に悩まされていたのです。
この専用水道は、他産地の地下水(硬水)によるものとは異なり、河川の水を取り入れて、うなぎを自然の中で生かすのと同じ環境で生育させるため、成長も良く、より天然に近い、正に画期的な施設だったのです。また、現在の加温ビニールハウス内で育成する高密度養殖には、不可欠な専用水道となっています。この専用水道の建設が、一色の養鰻業を発展させる大きな要因となった訳です。
昭和44年、全国的に発生した、うなぎの病気(エラ腎炎)により業界は一時期低迷しました。この対策として、養鰻池加温ビニールハウス化が始まりました。一年中飼育でき、病気の発生が少なく、小面積で大量のうなぎが飼育できるといった長所が業界に受け入れられたのです。昭和46年には、加温ビニールハウス池経営がわずか5戸しかありませんでしたが、現在は、経営者のすべてが加温施設で養殖をしています。
ここでも養鰻業者は悩まされます。加温ビニールハウス施設も設置してから20~25年が経過し、老朽化しているほか、シラスうなぎの減少に伴う原料価格の高騰と原油高騰による燃料費の増大や輸入うなぎに押され、大変厳しい経営状況となっております。
業界では、長期的なシラス資源の減少傾向に歯止めをかけるため、親うなぎの放流や人工ふ化の模索など資源確保に努めています。また、加温ビニールハウス施設も現在は修理などで補っていますが、本格的な施設更新ができるよう効率的な経営を心掛ける必要があるようです。

全国トップクラスの座

写真:うなぎの選別風景

最近の生産動向をみると、経営体数は、昭和50年を境に徐々に減少の傾向にあります。これは加温ビニールハウスの資金繰りや昭和48年秋のオイルショックによる廃業、近年のシラスうなぎの不漁に伴う原料価格の高騰等による採算の悪化などがあげられます。言い換えれば、規模の小さい経営体や効率の悪い経営体は、ふるい落とされていったのです。
経営面積は、一経営体当たり約0.7ヘクタールの加温ビニールハウス池で、生産量は、シラス不足もあって減少しており、養殖経営における効率化がますます求められています。
現在、内水面養殖で、うなぎを生産しているのは、47都道府県中12の都道府県です。都道府県別の生産量を見ると鹿児島県と愛知県が圧倒的に多く、全国の65%を占め、市町村別の生産量では西尾市がトップクラスを誇ります。主な出荷先は、中部地方で全体の約80%を占めています。
国内養鰻業は、原料高で、しかも製品安(国内消費の頭打ち)と中国や台湾からの輸入により非常に厳しい状況下にあります。今後も、中国や台湾からの輸入圧力が、ますます強くなると業界ではみています。将来に目を向け、さらに養鰻業の発展を図るためには、シラスの安定供給と効率のよい養鰻経営、消費者の好むうなぎの品質管理、そして、さらなる販路の拡大にあると言えるでしょう。

業界で有名な「一色産うなぎ」

イラスト:一色産うなぎブランドマーク

うなぎは、日本の南方約2,000キロメートルのグアム島西のマリアナ海溝などの深海で産卵し、この稚魚が黒潮に乗って日本近海へ群れになってやってきます。そして河川をさかのぼり、小魚やエビ、カニ、昆虫などを食べて成長します。うなぎの体は細長く、粘液に包まれており、魚肉は美味です。夏の暑い日にはうなぎを食す風習があり、ビタミンA、B1、Eが多く含まれ、スタミナ回復源の食材です。
一色のうなぎは明治37年より先人が様々な研究と努力を重ね、全国トップクラスの生産量を誇っています。「うなぎと言えば浜松だよ」と皆さんおっしゃいますが、一色のうなぎは質、味の良さで全国の業者の間では有名なのです。
一色の養殖うなぎは、冬の寒い日にうなぎの幼魚(シラスまたはシラスうなぎと呼びます)を捕えることから始まります。その後、加温ハウスに移し、朝晩毎日の給餌から始まり、適切な水質、水温のきめ細かな管理も欠かせません。養殖池の水質は、昭和38年に敷設した養鰻専用水道により矢作川の表流水を水源として、限りなく天然に近い状況で養殖を行っています。多くの手間ひまをかけたうなぎは、大きすぎず、小さすぎない(なぜなら、丼や重箱にあった大きさがありますから)皮の柔らかい、身に良質の脂ののったうなぎになり、全国に出荷されていきます。

写真:うなぎ掬いの様子

夏はうなぎの出荷の最盛期。夏の土用の丑の日1ヶ月前くらいから写真のように胸まで水につかって、「掬い(すくい)」とよばれるうなぎの出荷が始まります。その活きたうなぎをドウマンと呼ばれるかごに詰め、集荷されます。その後、泥を吐かせたり、魚肉を締めたりするために2、3日間地下水で保管し、全国の問屋や料理店に輸送されます。

うなぎが出荷されるまで

写真:うなぎの蒲焼

  1. 西太平洋のマリアナ海溝付近で生まれたシラス(うなぎの稚魚)は、年末から春にかけ、黒潮にのり日本の河川を目指します。夕闇が迫るころ、灯火に集まるシラス漁は、一色町でも冬の風物詩です。
  2. 大食漢のうなぎは、一日に体重の2%程度(成魚時)の餌を食べます。餌は、魚粉を主体とした配合飼料を水と魚油で練ったもので、うなぎが100gくらいの大きさになるまでは朝・夕の2回与えます。しかし、うなぎが病気がちになると、餌を止めたり、水車を増設したりして対処します。
  3. 成魚(200gから300g)に成長したうなぎは、池主の手で池揚げされます。出荷は、相場(卸値)を見ながら調整しますが、池が飽和状態になると赤字覚悟で出荷することもあります。
  4. うなぎ問屋に卸されたうなぎは、大きさ別、品質別に分けられます。分別されたうなぎは、5kgごとに容器に入れられ、数日間地下水で活かされます。これを「活き締め」といって、うなぎのアクを抜き、身を締める効果があります。
  5. 数日間、活き締められたうなぎは、10kgごとに酸素と氷と一緒に厚手のビニール袋の中へ入れられた後、20kg入りのダンボール箱に詰められます。そして“活鰻”のラベルを張り、「一色産うなぎ」が全国に向けて出荷されます。
  6. うなぎを開く技術は、一人前になるまでに2、3年かかります。また、開く方法が色々あり、関東地方では背中から、関西地方では腹から開いていますが、一色うなぎ漁協では背中から開きます。
  7. 炭やガスの火で、うなぎの背中と腹を焼きます。ムラなく焼けた、こんがりキツネ色が見た目も味も良く最高です。これまでが白焼きで蒲焼きは、次の工程を経ます。
  8. 80度くらいで蒸された白焼きは「タレ付け」の工程を経ます。タレは秘伝で、うなぎ料理店の隠し味です。“うなぎにタレを付け、また焼く”この工程を4、5回繰り返します。
  9. 出来上がった蒲焼きは白焼きと同様、加工うなぎと呼ばれ、真空パックにされて出荷されます。「うなぎの開き」から「白焼き」まで10分、「蒲焼き」までは60分の所要時間です。

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