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□■企画展示室■□

田中長嶺   TANAKA NAGANE  

〜知られざる明治殖産興業のパイオニア〜

 平成21年11月14日(土)〜22年1月17日(日)

 田中長嶺18491922)は、明治期に貧しい山村の産業育成を図るため、日本初のシイタケの菌糸体接種による人工栽培法や改良木炭窯「菊炭窯」を開発し、日本各地で技術指導を行って近代日本の殖産興業に貢献した人物です。また、晩年には第二の故郷となった三河の文化人たちのもとに寄宿し、歴史や民俗、考古学の研究に力を注ぎ、得意の絵筆を振るった作品を数多く遺しました。

 本展では、『明治殖産業の民間先駆者 田中長嶺の研究』の著者 の一人である故安井広氏によって西尾市へ寄贈された長嶺の遺稿を中心に、その知られざる業績や魅力的な人間像の一端をご紹介いたします。
                                      ※風間書房 昭和42年 中村克哉・中井広・浜口隆共著

 田中長嶺の生涯

 田中長嶺は、嘉永2年(1849)に新潟県三島郡の農家の六男として誕生しました。少年期に医学、絵画の道を志すも断念し、長年、農業と山林の開墾に従事する傍ら、菌類(キノコ)の研究に取り組み、独自の人工栽培法を開発しました。43歳のとき、愛知県の北設楽郡と東加茂郡でシイタケ栽培を指導したのを皮切りに、日本各地でシイタケの人工接種法や炭焼窯の改良の実地指導を行い、寒村の産業振興に尽くしました。国の殖産界の政治家や学者、役人たちとパイプを持ちながらも、長嶺自身は地位や財産を求めず、自分の家や妻子を持つことすらありませんでした。59歳にして最後の伝習地となった朝鮮済州島で病に倒れた後は、三河や名古屋の文化人たちのもとに寓居し、寺社の縁起の作成や歴史、考古学の研究に打ち込み、多くの著作や絵画を制作しました。長嶺の博識さを頼って助言を求めたり、仕事を依頼する人が絶え間なく訪れたといいます。大正11年6月30日、寄宿先である名古屋の福岡季吉宅で71歳の生涯を終えました。葬儀は生前にたびたび滞在した西尾市中町の聖運寺で行われ、親交の厚かった40人余りが列席しました。同寺本堂前には今も長嶺の墓碑と顕彰碑が静かに佇んでいます。

 【43歳〜59歳】シイタケの人工栽培および木炭窯の改良を伝習し、寒村の殖産興業に貢献する

 明治期の日本は、欧米諸国に対抗するため、国の近代化を進め、諸産業を振興する必要に迫られていました。長嶺が開発指導したシイタケの人工栽培と木炭窯の改良は、資源に乏しい山間地を豊かにし、同時に有望な輸出産業として国の殖産政策に資するものでした。長嶺の伝習活動のスタートは、43歳の御料局嘱託員であった時代に、愛知県北設楽郡の 有志者たちから招かれ、シイタケ栽培を指導したことに始まります。そこで日本で初めて科学的な知識に基づいた栽培法を実行した長嶺は、大きな手ごたえを得て『香蕈培養図解』を出版しました。しかし、より実践的な指導を行うためには嘱託員の職は足かせとなり、程なく職を辞し、以後は長嶺の評判を聞きつけた各地の役所や農会から招かれるままに全国を奔走しました。

 

『香蕈培養図解』 

 

『散木利用編 第4巻 香蕈』 

   

『散木利用編 第3巻 黒炭』 

   

 

 【19歳〜40歳】農業の傍ら植物学、菌学を研究し、日本初の菌類(キノコ)人工培養法を開発する

 長嶺がシイタケの人工栽培を成功させたのは、短期間とはいえ医学を学んだ学問的下地と、長嶺自身が長年、農業と山林の開墾事業に携わりながら、貴重な食資源として のキノコを見つめ、研究し続けた結果でした。30歳を超える頃には、採取したキノコは数百種に及び、当時の研究ノートには、江戸時代の本草書や最新の農業雑誌から得た知識が記されています。さらには上京して東京帝国大学理科大学で矢田部良吉博士、田中延次郎らに学び、欧米から導入されたばかりの近代菌学の知識を得ました。これによってキノコの生態と繁殖の仕組みを理解した長嶺は、 独自のキノコ培養法を編み出したのです。

『菌類原稿』

『菌類図習作』

 

『菌蕈子実標本』

『菌類模型(第3回内国勧業博覧会出品)』

 

 【42歳〜43歳】御料局嘱託として地方産業を記録し、幻の江戸紫の染法を復元する

   第3回内国勧業博覧会で進歩三等賞を得、キノコの専門家として世に認められた長嶺は、宮内省御料局の「菌蕈類製造及花卉果物写生画ノ業務」を嘱託されました。ここで、京都の御料林の松茸の育成や、新宿御苑での欧州産マッシュルームの栽培を手がけ、大きな成果を上げました。また、もう一つの仕事は、地方の特殊産業を調査し、記録したことです。いずれも長嶺の巧みな挿絵によって、分かりやすく、面白くまとめられていますが、巻末にはシビアな収支概算が記され、単なる読み物ではないことが分かります。なかでも、明治初期に途絶えてしまった「江戸紫」の復活のため、千葉県千里塚で紫草を採取し、古老の証言によって染色法を再現した仕事は、この時期の長嶺の代表的な業績です。こうした調査記録は『産業絵詞』と題し、宮内省へ報告されました。

『練馬大根種子培養図説』

『樽柿製造図説』

『産業曼筆 稲』

『採集雑記』「紫草採集記」

 

 【59歳〜】三河に寓居し、歴史、民俗、考古学の研究に取り組む

 病に倒れ、伝習の旅から引退した長嶺は、以前から付き合いの深かった三河や名古屋の知人たちのもとを転々と寄宿して回りました。この時期の長嶺は、巧みな画技と幅広い知識を活かし、社寺の縁起や土地の歴史、伝説、偉人に取材した作品を多く表わしました。とくに西尾では、貝吹の植物学者・名倉闇一郎を中心とした「山草同好会」の指導者となり、その会員の長圓寺住職・成河仙嶽、上永良神明社神官・加藤充丸、聖運寺住職・泉恵嶽、上矢田の大地主・杉浦其粦、その他多くの知識人たちのもとに滞在して親交を深め、作品を贈りました。また、狐や狸が人間を化かす「怪狐奇談」シリーズや、軽妙なタッチの挿絵入りの滑稽話や教訓話も長嶺のユーモアにあふれた人柄をしのばせます。

『菌類図譜』

『嫁狐絵巻』

『上地八幡宮社記』

『女具美篤右衛門栄華物語』

 

 

『風俗画帖』

『三河名所』

 

  図録1冊800円
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□■展示解説■□
@12月12日(土)  中條長昭(日本菌学会会員・西尾きのこ会代表)
A12月23日(祝) 文庫学芸員
□■特別連続講座■□

「史料から歴史の謎を読み解く
学術創成費「目録学の構築と古典学の再生」研究グループ共催

      第5回「 尾張国郡司百姓等解と平安時代史研究の新潮流」

11月21日(土) 講師 山口英男氏(東大史料編纂所教授)
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