山形県米沢市

吉良家と三重の縁で強く結ばれている上杉家の城下町・米沢市

   米沢市は山形県の最南端に位置し、福島県との県境に接しています。夏は高温多湿、冬は寒さが厳しく、特別豪雪地帯に指定されています。年間累計積雪深は10mに達することもあり、市街地でも平年の最高積雪深が1mに達するほどの降雪量があります。また、米沢市は「置賜(おきたま)地域」と呼ばれている県南3市5町の中で、中心的な機能を有する都市です。市制施行は明治22年。日本で最初に市制を施行した全国39市の中の1市で、本年で市制124周年を迎えた人口約8万6千人の市です。

 鎌倉時代には、地頭・長井氏が米沢に本拠を置いたと伝えられており、その後、伊達氏が置賜(おきたま)を領し米沢城下が整備されました。「独眼竜政宗」でも知られる伊達政宗も米沢城で生まれ、25歳までの青年期を過ごしました。江戸時代には、上杉景勝(かげかつ・米沢藩初代藩主)が越後から会津を経て米沢に入り、重臣・直江兼続(かねつぐ)の指揮で城下が拡張され、現在の米沢市街の基盤が築かれました。以後、米沢は上杉氏(米沢藩)の城下町として発展しました。

 その中でも、米沢藩九代藩主上杉鷹山(ようざん)による藩政改革が有名です。財政難の米沢藩に縁戚の高鍋藩秋月家から迎えられた鷹山は、率先して大倹約を行うとともに、数々の殖産振興政策を展開し、藩財政と人々の生活を立ち直らせました。また、藩校・興譲館を設立し教育にも力を注ぎました。困難な状況下、「なせば成る」の精神で改革を成功させた鷹山は、現在も理想のリーダーとして高く評価されています。

米沢市と西尾市のゆかり ~三重の縁~ 

 徳川幕府が始まって50年ほど経った万治元(1658)年、米沢藩三代藩主上杉綱勝の妹・三姫(富子)が幕府高家の吉良義央に嫁ぎました。(第一の縁)その6年後、かねて病弱だった綱勝は27歳で急逝。綱勝の妻も既に亡くなっており、子がいませんでした。幕府では「跡継ぎのいない大名は取り潰し」と定められていましたが、三代将軍・徳川家光の弟である会津藩主・保科正之(綱勝の妻の父)の尽力により、生後8か月だった綱勝の甥である吉良三之助(綱憲)を養子に迎え、上杉家は存続することができました。(第二の縁)

 その後、義央と富子には三女一男の子が生まれたものの、男児は8歳で死去。このため、吉良家は綱憲の子(義央の外孫)を跡継ぎに迎えました。(第三の縁)それが後の吉良義周です。このように、上杉家と吉良家は「三重の縁」によって強く結ばれているのです。