大日如来坐像 だいにちにょらいざぞう

 

指定・種別  市指定・彫刻

員数     1躯

法量     像高60.2cm

材質     木造(一木造) 彫眼

時代     平安時代(11世紀)

所蔵     満全町 康全寺

 康全寺大日堂の本尊であり、『三州西尾山康全禅寺記』には、康全寺の前身寺院の一つ金剛王院の大日堂の像と記されている。康全寺は、西条城の鎮守である松山八幡を護持する六坊のうち神宮寺と金剛王院を前身として応永5年(1398)に却外乗空禅師が再興し、吉良満貞が満全寺と名付けたという。『家忠日記』によると、天正7年(1579)に徳川家康が止宿し、その際に康全寺と改称したと伝えられる。

 本像は一般的な金剛界大日如来とは異なり、智拳印ではなく、理拳印(もしくは左拳印)と呼ばれる智拳印と左右の手を逆に結ぶ印相をあらわしている。左前膊、右腕の全て、両手首が後補であることを考えれば、当初は智拳印であったものが過去の修理で改変された可能性も考えられる。また、大日如来像の宝冠は正面部分のみをあらわし、側背面から髻が見える作品は、菩薩像ではしばしば見られる表現ではあるが、大日如来像では珍しいものである。

 候補の部分が多いが、古様をあらわす像容や、一木から彫出される適度な量塊感ある作風から、平安時代後期(11世紀頃)の作品と考えられる。伝承のように足利義氏によって八幡六坊が建てられたのが承久3年(1221)頃であるならば、本像はそれに先立つ像ということになる。市内では数少ない密教系の仏像としても貴重な作例である。