佐久島出身海の男 船頭重吉出生之地 
さくしましゅっしんうみのおとこ せんどうじゅうきちしゅっせいのち

 

指定・種別   市指定・史跡

所在       一色町佐久島東屋敷

重吉(1785~1853)は江戸時代の船頭で、5年間にも及ぶ太平洋漂流の末に生還を果たし、長期漂流生還の世界記録といわれている。

重吉は佐久島の百姓善三郎の次男として生まれ、尾張半田村百姓庄兵衛の養子となった。29歳のときに廻船督乗丸の沖船頭として乗組員13名とともに師崎から江戸へ航行し、その帰路に伊豆子浦沖で暴風雨に会い、約17ヶ月間、太平洋を漂流した。イギリス船フォレスター号に救助され、アラスカ、カムチャッカを経て5年後に帰国を果たしたが、この間に船員は次々と亡くなり、帰還を果たしたのは重吉を含め2人であった。その後の重吉は尾張藩のお抱え水主となり、名字帯刀を許されて小栗重吉と名乗ったが、亡くなった船員たちの供養のために職を辞し、異国から持ち帰った品を公開するなどして浄財を集め、笠寺観音に供養塔を建立した(現在は熱田区の成福寺に移された)。

重吉が新城藩の池田寛親に語った漂流の顛末は『船長日記(ふなおさにっき)』としてまとめられている。