所在地 江原町西柄・岡島町郷田  

矢作川下流の沖積平野に位置する弥生時代中期前葉から後期にかけて(今から2100年位前から1800年位前)の遺跡です。これまで愛知県や西尾市によって幾度か発掘調査が行われ、竪穴住居跡や人を埋葬するための方形周溝墓、土器を棺にしたものなど、様々な生活の跡や土器類、石の道具、木の道具が出土しています。遺跡の範囲は国道23号線岡崎バイパスの北・県道衣浦岡崎線の東側を中心に、広さは約10万平米にも及ぶと考えられ、矢作川流域を代表する弥生時代の遺跡です。

岡島遺跡遠景

岡島遺跡遠景  

八ツ面山の展望台から眺めています(おおよそ西から東方向)。右手高架が国道23号線バイパス。中央付近の水田や緑色っぽいところ(梨畑や茶畑)が広がっているあたりが岡島遺跡です。

中期中ごろの土器

弥生時代中期中ごろの土器

愛知県埋蔵文化財センターの調査で出土しました。このころの土器は表面が黒く仕上げられた土器が多いのが特徴です。また、土器の大きさも、かなり大きいものが多く、右端の土器は、高さが50㎝以上あります。これらの土器は、岡島弥生資料館に展示してあります。

中期終わり頃の土器

弥生時代中期終わりごろの土器

昭和52年の調査で竪穴住居跡の埋まった土の中から出土しました。

後期の土器

弥生時代後期の土器

昭和52年の調査で出土したものです。奥左が壺(貯える器)、右が甕(煮炊きをする器)、手前右が高杯(盛り付ける器)です。

 石斧写真

石斧(せきふ)類  

主に木を伐採するための道具です。中央の石斧は長さが20㎝以上を測るもので、三重県の北勢地方で採集できる「ハイアロクラスタイト」と呼ばれる青い色をした石で作られています。

 

これまでの発掘調査について

以下は、昭和62年から平成3年にかけて愛知県埋蔵文化財センターによって行われた発掘調査の成果です。この調査は、県道衣浦岡崎線、国道23号線岡崎バイパスの道路工事に先立って行われました。調査地点は遺跡の縁辺部にあたります。調査の結果、弥生時代中期前葉から後期にかけての住まいの跡である竪穴住居跡お墓の跡である方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)や土器棺墓(どきかんぼ)、当時の川の跡などが、また、多量の弥生土器、石器、木器などが見つかりました。珍しいものとしては、鹿の骨で作られた釣り針、多孔銅鏃、銅鐸形土製品(銅鐸を模してつくられたもの)なども出土しています。

  • 出土した遺物については岡島弥生資料館に収蔵及び展示されています。
  • 以下の写真は(財)愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター提供です。

 

62年発掘の様子

昭和62年に行われた発掘調査区の様子 

中央部分にある溝から多くの土器が出土しました。

 方形周溝墓写真

弥生時代中期中葉の方形周溝墓(溝で周囲を囲んだお墓)

溝の四隅が切れるタイプのものです。西尾東インターすぐ東側の調査地点で見つかっています。

方形周溝墓写真2

方形周溝墓

上の写真と同じく方形周溝墓ですが、上の写真のものより新しく弥生時代後期のものです。溝の中央部分が1箇所切れるタイプのものです。

 土器棺墓写真

土器を棺にしたもの(土器棺墓) (弥生時代中期後葉)

人をいったん埋葬した後、骨だけを取り出して土器の中に入れたのでしょう。ただし、子どもの場合は大きな土器なら中に入りますので、直接土器に埋葬したこともあるのかもしれません。

竪穴住居跡写真 竪穴住居燃え残った柱写真

竪穴住居跡(弥生時代中期後葉) 

当時の人々の家の跡です。掘っていく内、火災にあって燃え残った柱が炭になって残っていました(右の写真)。それを取り除き、掘りあがった状態です(左の写真)。住居の内部の丸い穴が柱が立っていたところになります。 大きさはおおよそ5~6mほどの四角形ですので、約30平米ほどで10畳ほどの大きさのところに住んでいたようです。

 水辺の祭り写真

水辺の祭り(弥生時代後期)

当時の川岸のところから多量に土器が出土しました。川岸で水に関するお祭りを行い、そこで使った土器がそのままになっていたと考えられています。 お供えのために使った容器(小型の壺や高杯(たかつき・食べ物を盛り付けるための容器)がたくさん出ているのが見えます。

 

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