福井県越前町

西尾藩3万7千石の飛び領地だった旧朝日町

越前町位置図

  越前町は、福井県嶺北地方の西端に位置し、西は日本海に面し、北は福井市、東は鯖江市に接しています。地勢的には、その大半が丹生山地に属し、沿岸部から北部にかけて500メートル級の山々が連なっています。平成17年2月1日に、朝日町、織田町、越前町、宮崎村が合併し、人口約2万5千人の新・越前町が誕生しました。
 旧朝日町は越前町の東部、越前平野の西端に位置し、丹生山地の山すそに広がる小田園都市です。江戸時代中期の明和元(1764)年、山形六万石藩主・松平乗佑(大給松平第11代)が幕府によって大坂城代に任命され、西尾に国替えをされたとき、西尾周辺には2万3千石しか無かったため、その不足分に幕府直轄地(天領)だった(越前国)丹生郡などの領地3万7千石を飛び領地として加えることになりました。そして、丹生郡天王村(現在の越前町天王)に西尾藩出張陣屋(役所)の「天王陣屋」を建設し、5代107年間にわたって西尾藩主が越前領統治に当たりました。

八坂神社中門(旧朝日町)

八坂神社中門(旧朝日町)

 

 

岐阜県恵那市

 大給松平が世襲した岩村藩のあった旧岩村町

恵那市位置図  恵那市は、岐阜県南東部に位置し、東は中津川市と長野県、南は愛知県に接しています。平成16年10月25日に、旧恵那市、岩村町、山岡町、明智町、串原村、上矢作町の6市町村が合併し、人口約5万7千人の新・恵那市が誕生しました。
  旧岩村町は、3万石の城下町として、800年の歴史を持つ史跡観光のまち。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の重臣・加藤景廉が文治元(1185)年に、この地の地頭に任ぜられたことから岩村城が創建され、戦国時代には城主が武田信玄や織田信長の臣下との間でめまぐるしく変わりました。岩村城は、朝霧、夕霧にこつぜんと姿を潜めることから別名「霧ケ城」と呼ばれた日本三大山城の一つです。
  慶長6(1601)年、松平家乗(大給松平第6代)が岩村城主になりましたが、跡を継いだ乗寿は国替えにより浜松へ移りました。乗寿の長男・乗久(大給松平本家)の3代後の乗佑が西尾城主に、乗寿の二男・乗政(大給松平分家)の長男・乗紀が岩村城主となり、以来明治維新まで、西尾藩と岩村藩はそれぞれ大給松平が世襲しました。

 盛巌寺(旧岩村町)

盛巌寺(旧岩村町)

 

 

山形県米沢市

吉良家と三重の縁で強く結ばれている上杉家の城下町・米沢市

             

 米沢市は山形県の最南端に位置し、福島県との県境に接しています。夏は高温多湿、冬は寒さが厳しく、特別豪雪地帯に指定されています。年間累計積雪深は10mに達することもあり、市街地でも平年の最高積雪深が1mに達するほどの降雪量があります。また、米沢市は「置賜(おきたま)地域」と呼ばれている県南3市5町の中で、中心的な機能を有する都市です。市制施行は明治22年。日本で最初に市制を施行した全国39市の中の1市で、本年で市制124周年を迎えた人口約8万6千人の市です。

 鎌倉時代には、地頭・長井氏が米沢に本拠を置いたと伝えられており、その後、伊達氏が置賜(おきたま)を領し米沢城下が整備されました。「独眼竜政宗」でも知られる伊達政宗も米沢城で生まれ、25歳までの青年期を過ごしました。江戸時代には、上杉景勝(かげかつ・米沢藩初代藩主)が越後から会津を経て米沢に入り、重臣・直江兼続(かねつぐ)の指揮で城下が拡張され、現在の米沢市街の基盤が築かれました。以後、米沢は上杉氏(米沢藩)の城下町として発展しました。

 その中でも、米沢藩九代藩主上杉鷹山(ようざん)による藩政改革が有名です。財政難の米沢藩に縁戚の高鍋藩秋月家から迎えられた鷹山は、率先して大倹約を行うとともに、数々の殖産振興政策を展開し、藩財政と人々の生活を立ち直らせました。また、藩校・興譲館を設立し教育にも力を注ぎました。困難な状況下、「なせば成る」の精神で改革を成功させた鷹山は、現在も理想のリーダーとして高く評価されています。

米沢市と西尾市のゆかり ~三重の縁~ 

 徳川幕府が始まって50年ほど経った万治元(1658)年、米沢藩三代藩主上杉綱勝の妹・三姫(富子)が幕府高家の吉良義央に嫁ぎました。(第一の縁)その6年後、かねて病弱だった綱勝は27歳で急逝。綱勝の妻も既に亡くなっており、子がいませんでした。幕府では「跡継ぎのいない大名は取り潰し」と定められていましたが、三代将軍・徳川家光の弟である会津藩主・保科正之(綱勝の妻の父)の尽力により、生後8か月だった綱勝の甥である吉良三之助(綱憲)を養子に迎え、上杉家は存続することができました。(第二の縁)

 その後、義央と富子には三女一男の子が生まれたものの、男児は8歳で死去。このため、吉良家は綱憲の子(義央の外孫)を跡継ぎに迎えました。(第三の縁)それが後の吉良義周です。このように、上杉家と吉良家は「三重の縁」によって強く結ばれているのです。